04/08


厄日は密かに寄り添って相槌を奏でます。
日頃の無節操な行いが災いの元になって我が首を絞める結果になる。
二日酔いが慢性的な人ゆえに、その自覚が欠落しては呑み放題を決め込んでいる。ビールが美味いから毎日ひっきりなしに吞み続けて、わが身がビヤ樽みたいな恰好に成り果てている。
哀れなり。
                     
そして、一句。


「賭け事に暇持て余しのめり込む」


つづけて、
「賭け事に命預けて身を滅ぼす憂いかな」字余りチョン ( `―´)ノ


望み豊かに私利私欲の願望は果てしなく、あまねく己が力量を見定めずして事を起こし失敗を繰り返す。そのはけ口として不満を露(あらわ)にする。


自分の未熟さと不甲斐なさに腹が立ち、それでも諦めきれず神に縋りつき、意に添わなければ罵り罵倒する哀れな御仁。
自分本位の物差しで物事をはかる身勝手な人。


限ない望みは己が過信の果てに高望みした結果に過ぎないのに、それを神の仕業に擦り付けての祖業は節度を知らぬ。
それでも、それでも一途の望みを捨てきれず最後のレースに残りのお金をすべてつぎ込む。


「神様、万馬券が当たりますように」
(注釈 万馬券とはめったに当たる事がない馬券)(銀行レースは当たっても配当金が抜群に少ないのです。今日の桜花賞ではリバティアイランド単勝160円なのじゃ、安い)


ゆえに、希望は泡のごとく大きく膨らんではポシャる。
夢は儚くも砕け散り欲望のかけ過ぎに懐具合がサビシイものとなるのです。


「あそこで、あれを買っておけば…」


その言葉が霞みを帯びて後悔だけが上澄みされて現実を醸し出す。
哀れなり。
そして、これからの食い扶ちの心配をしなければいけないのに。それでも懲りずに次の週末の段取りを考える。


「今度こそは」


三途の川も渡っちまえばこの世の未練など小間切れでポイしちゃってさ。
思い残すものなど無いと強気の弱音を吐いたり。
後腐れなくあの世に行きさえすれば、この世の些細な出来事など綺麗に消えて収まる所に収まっての閻魔様が素敵に見えたりするんじゃないかと勘繰りたくなるのです。


所詮は、一か八かで賭けたレースに見事に裏切られてこの世に未練などあるものかと、木に括り付けたロープがやけに愛おしく思える始末です。
どうぞ、わたしのハートを串刺しにしてちょうだいと、懐具合が冷え切って見切り発車では矢張り無理があったのです。


急ぎの用事で下駄の鼻緒が切れて、それが拍子につんのめる。
そんな当てこすりみたいな野暮用で!
足掛けの椅子の按配を顧みずにやり急いだものだから、お首を絞めるつもりが利き手をロープの輪っかに括られて地面との隙間を埋めようと死に物狂いの哀れな恰好であたふたとタコ踊り。










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