04/07

何気ない毎日のなかであなたがいる。
そばに寄り添ってあなたの笑顔がわたしの喜びです。
その穏やかな日々がわたしの愉しみ。
ただそれだけで幸せになれるのです。


あなたのマシュマロみたいな股間の逸物も大好きだったのに!
そのタマタマが消滅してから、はや十数年。


ぶら下がったタマがない。(最初から、下品な言葉で申し訳ありません)
たまご仕立てのプリンより、そりゃ~柔らかくて弾力があり、キュンキュンな触り心地で可愛らしかったタマタマ。


あのタマタマはどこへ行ったのでしゅかね。(=^・・^=)
大事な、ぶら下がりモノがなくなって、(=^・^=)ニャ~ンも不自由していると思いきや結構、自由に動き回っていらっしゃいます。


8年間は家猫でした。
でも、奥様がお亡くなりになった時から自由を勝ち取り放浪の身。
サザエさんのタマじゃないけど、我家の猫も自由気ままに生きています。
私もそうなりたいと常々思っているのですが、世間の柵に惑わされています。


子猫の時は、そりゃ、もう、可愛くて、可愛くて。
奥様に頬すりするよりも子猫にする方が多かったものです。
子猫の時は何をするにしても、その動きが可愛いものでしたね。
でも、いまは凄いにゃん相になっていらっしゃいます。
そのことを言おうものなら、鋭い爪で威嚇されます。(我が家の猫様は人語を話されませんが、聞き耳は飼い主より敏感です)


それと、私に似ず狂暴さにかけてはピカ一。
外猫兼用になって世間にもまれて、その技を習得されたもようです。
家猫の時は猫を?被っていたのでしょうね、そりゃオトナシク品があったのです。
奥様のご指導が良かったものと思われます。


でも、いまは私に似て不精でお腹出っぷりのご恰好で笑っちゃいます。(=^・^=)
歩く度に出っ張ったお腹が右左にタプン、タプンと揺れ動きます。
笑っている私自身もお腹が出っ張っているから猫の事は言えないのですが。(*^。^*)
今日は朝から陽射しが増して、春の陽気も本格的になっています。
寒い季節とは、もうお別れですね。
無精者の私も春の陽射しに唆されてモヤモヤした気持ちが湧き上がります。


でも、人は、如何して悩むのでしょう。
なぜ素直にあるがままの本能に従って生きられないのでしょうか。
「あ~~」
ため息は如何して出るのでしょう。
迷っている自分を他人事のように眺めているもう一人の自分がいます。


逃げ場のない毎日を。
毎日、毎日飽きもせずに働く。
日銭を稼ぐために働く。懲りずに。
仕事が好きで、好きで、たまらない気持になったことがないのに仕事をする。
そして、すこしだけの癒しを求めて少しだけのズル休みをする。
季節の変わり様に意識的じゃないにしても脳のある部分に春の気紛れなお天気と似たような野暮ったい気持ちの変化が湧き上がります。


そんな時、気まぐれで投げやりな脳みそをフル稼働してみたところで、拒んで逃げ出したくなる繊細さに素直な気持ちが篩(ふるい)にかけられ、つい弱音(本音)が出てしまう。


だからじゃないけど、日常的な関わり方の思惑(ストレス等)の変化によってはあらぬ方向をぼんやり眺めながら安易な妥協をする俺って気紛れな無精者。


それにしても「青い空」って、見るからに「ひろ~い海の内部」って感じで深堀りされないおおらかさを持った自然の神秘を眺めているようで時間が足りなくなってしまいます。
ある意味、親の無垢な慈悲と同じようなお手前を感じてはいても、手取り足取りじゃ反抗したくなる幼子と似たような感情が逃げをうって吐き捨てた言葉に後ろめたさを感じつつ意味のない捨て台詞に涙が出る始末じゃみっともないだけだけど。




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