04/21

仕事が終わり家に着くなり疲れた身体を長椅子に沈め、安堵に似た疲れが広がります。昨日の出来事を思い浮かべては反省頻り。


凡人がどう足掻(あが)いても所詮、脱皮出来ずに愚痴をこぼしながら今を生きている。
汚れた淀んだ殻を脱ぎ捨てて真新しい殻を着て出直せればどれだけスッキリするだろう。
詮なき事なれど、また零す。


卑屈な精神が猫を相手に一仕事!
聞き役の猫は素直じゃないところが私と似ている。


人の心なんてツマラナイことで躓く。
心を誤魔化すのは偽善者?


話す際に出る言葉が微妙に異物化して建て前がすらりと抵抗もなく口から出てくる。自分じゃない自分が喋っている感じで違和感が湧く。受け答えを安易に受け止めて妥協している自分がそこにある。


そして、喋る言葉の大切さを考え様ともしない。
いつもの様に笑顔で受け答えをしている自分に腹が立つ。そして、相手を傷つけるのに何の躊躇(ためらい)いもなく嘘をつく。この現実を悲しんでもいない。
気持ちがそれに応えようともしない。


幼き頃の純粋で素直な心はどこに行ったのか。


綺麗事で誤魔化しても詮無き事なれば、思考の捉え方によって心の誤魔化しはやめようと決心しては反省して考え直すのも良いが、場合によっては素直(すなお)で率直(そっちょく)な判断は相手を傷つける事もある。
そして、与太話が純粋で素直な魂を甘い香りで包み込むのが良い結果を生む事さえある。


だから、「偽善者も捨てたモノじゃないでしょう」って言葉の意味をすり替えて誤魔化すところが偽善者だから!そんな自分が嫌になる。


人生の成り行きなど解りはしない。過去の道筋を辿って未来を描いても詮無き事。


運がよけりゃ明日が来る。
運が無くても明日は来る!


そして、糧を得る日々は滞る事なく過ぎて行く。必ず来る明日があるなら要領を掴めば生きやすいはず。だから、先人の知恵を借りて学べば過ちを冒すことはなく明日を迎えられる筈。それで事は足りる。


段取りが良ければ物事はスムーズに進む。気持ちの持ち様で、嫌いな出来事は避けて通ればいい。面白くないモノには背を向けて物事を進めればいい。出来ない事は後回しにして好きな素敵な時間を持てばいい。


他人の目など気にしないで自分を大事に育めば未来は明るいものになる。
出来ると自分を信じこませ、想い込む発想が重要で利己的な感受性が大事だ。


だから、感じる心を持ち合わせていれば翼を得て自由を満喫する事が出来るだろう。他人の助けなど必要ない。有りの侭の、備わった知恵で事を運べばいい。失敗しても、借金しても他人の事の様に素知らぬ顔して踏み倒せば良いことだ。


明日が素晴らしい日であるか否かはその手だてにある。今以上に豊かになるには他人を踏み台にして、自分を優位に仕立てれば明日が拓ける。貧乏臭い助け合いなどの言葉など蹴飛ばして生きて行けば人生が豊かになる。


それで「さようなら」などと言われても、言われた本人に罵声を浴びせれば自分は傷つく事はない。


必ず来る明日があるなら今日を無駄に生きない事だ。


無駄なほど愚かなことはない。後悔が金に変わって美味い肉が食えるならいいが、思いやりなどと言った戯言など蹴飛ばせば未来は開ける。だから生きて行く衝撃で、愛なんて意味がない。


愛ほど無駄なものはない。
「好きです」などと悲願する真面目な人ほど優越感に浸れるのは、自己満足ゆえに自分を慰めているだけにしか過ぎない。


精神が物質を上回っても身体の具合が悪ければ思考なんて、ただの手段でしかない。







.

×

非ログインユーザーとして返信する