04/13

黄砂の影響じゃないにしても近頃、気持ちが滞っている。
神経のか細さを表に出さずに厳つい顔をして人との対応に滞る気持ちが増していく。
誰でも前向きに人生と向き合って生きたいと思う。
ありのままを曝け出して生きていければ素直な自分と向き合っていける。


でも、人生そう甘くない。


身の程知らずの若造じゃないから、それなりに経験と実績は豊富に体験したけど見合った恵みは少なからずあったものの、その恩恵を賭け事にコピーしては己の力量を過信しては敗北する。人生そう甘くない。
人生で風向きが変わった事など気づきもせずに突っ走って、時間が歳という現実を表し始めた頃すべてを失った。髪の毛が薄くなったと気づく頃、気持ちの駆け引きが目減りして素直な自分と向き合うことになり諦らめと戸惑いが交差する。


無駄を承知でするか、諦めるか。思考の戸惑いが災いを招くのか思いもよらない幸運が舞い降りるかは神様のみがご存知だから今がある。


自分一人の考えでは心許無いから救われる(神様の慈悲深い)事に期待をこめて今日を生きている。


保証と微笑みはお銭(あし)の量で過料され、その徴収する額で人の価値(身分)が評価される。ありきたりの日々はもろ足りなく頑固なイデオロギー的癒着はさて置きお腹が空いた感性が酒を求めます。
素直な気持が素直な概念を生む。
そうです、素直な気持ちが大事なのです。
でも、その反動でがぶ呑みはご法度。けれど、ありきたりの量じゃ物足りない。


他人がどう言おうとも自分自身に素直であればいい。
そうです。前に進むか停滞しては我慢すべき忍耐を養って今を生きるか。言い訳は常に携帯して前向きな思考を持ち続けてはいるものの、当たって砕けては自分を慰めている毎日。


計画性に乏しく無謀としか言いようのない行動を無理して正当化する私はバカとしか映らないまでも、打ちひしがれる欲求を糧として諦める気持ちが慰めにして蔓延していく。


昨日も仕事で身体を扱き使い柔軟性を無くしかけていた。


言い争う勇気は吐き捨てて頭を下げる難度をクリアーすれば気持ちも前向きになり、自分の言い訳を正当化しょうと媚びる私は努力賞ものです。神経は当の昔に壊れているから心配はないものの。お金の為に身体を削り好きでもない御世辞を並べては自分を励ましている私はクズの一歩手前で身を粉にしている。


神経が枯渇してゆく毎日に、神の慈悲を乞う。


素直さより、欲深く傲慢な神経のほうがいい。
繊細より図太い感性を必要として、怠け者にとって努力する事は果てしなく辛抱したゆえの結果でしかない。


まあ、真面目さを装っても見た目ほど卑屈な精神を持ち合わせてはいず、潤いが削がれればスッピンの素直さを蹴飛ばしかねない。けれど幾ら御託を並べ陳列しても。
所詮は老人の戯言にしか過ぎない。


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