04/25

酒を呑む。
愚痴を肴に気持ちを奏で、厄介者は戯言を吐いて気持ちを粗末にする。
愚痴をこぼす事に麻痺して、嫌気と吐き気が絡まり思いやりが消えてゆく。
澱んだ思考は倦怠感で挫折するも酒の勢いを借りて生きる勇気が湧く。
いい加減な気持ちと曖昧な微笑みをブイやって逃避する確かな時間からは見放されている。
精神が枯渇するのを防ぐ為に、言い訳として必要性に乏しい能書きを垂れ流し呑んでいる。


厄介者が吐く言葉が垂れ流されても除け者にされても存在しないわけにはいかない。
生きている為に精神的苦痛ほど厄介なものはない。


酒を呑む。儚(はかな)い姿がここにある。
時は薄情なものだ。気持ちはこの世に未練があるのに身体は錆びてゆく。
身体と思考が同時に枯れてゆけば何も苦労はしないものを。
ガラスに映る自分の向こうにもうひとりの自分が唱える。
“ 安らぎは向こうからやって来ない ”
ある者はこう呼ぶ。
「 アル中 」
また、ある人はこう促す。
「 アルコール依存症 」
言い方を見栄え良く謳っても、自覚と誠意の無さに本人も呆れる。
受け止める側と、促す側とでは本質的には乖離りしているわけで、その人に非難、中傷やエゴによる労りなどは不必要である。その人は今の現状を決して良いとは思っていない。
気休めの言葉ほど本人を傷つけるものはない。


そして、見栄え良くするために生きようとしても結果は諦めきれずに。
まだ生きている。
そのために努力しては諦めきれずに泣き言を唱えている。
哀れさを表現するには現状を見慣れすぎたゆえに、後悔を垂れ流して自分を戒めているに過ぎないけれど。


身近な出来事が後悔を改心させる事もある。
アルコール依存症の友が死んだ。
苦しむために呑むのか。生きているから悲しみを堪えきれず、その辛さを我慢できずに呑む。
「私には、未だ先のこと」
その符号は、いにしえの時を超え走馬燈のように過去を蘇らせて束の間のやすらぎを得るが永生きするには遅すぎる。


厳しい寒さを乗り越えて、持ち堪えた身体が。
さあ、これから、今から元気にと。
その矢先に。
人の身体とは如何なるものなのか。
安堵する気持が旅立ちを促すのか。
介護する周りの人々の気持を他所(よそ)に旅立つ。


今年で2回目の葬祭に立ち会う。
憂いは増すばかり。
もう、永生きするには...
希薄な精神がほころび始めています。
闇の蓋を開ければ身近な真実が垣間見える。
生きる意味を探し求め闇を挙がらい、涙は流れて清められて真実を闇から覚醒しても後悔の念は拭えない。


そして、焦る心を仕事の忙しさで紛らわすも一向に青空らしき清々しさは得られない。冷淡な心を持ち合わせていれば何も戸惑う事はないものを。
人の死を間近に見合わせて、己自身の姿とだぶらせる。
私の身近な人々が亡くなってゆく。


この歳で、何を戸惑うのか。
先は、視えているのに。
行き倒れの構図が描かれる場面でいつもその先が闇に消える。
独り身の終焉が描かれる。
苦悩する思考が妥協という曖昧な手掛かりを餌に時を刻む。
“ 覚悟 “という私には無縁な響きが時を超えて覆い被さり,真実の内部にあられもなく取り乱した己自身の姿が映し出される。
そして、死神はそっと寄り添って微笑んでいる。







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