04/18

我が家の生き物を見て思います。
なにも求めず、なにをも執着せず。
その瞬間を感じて、死を恐れず今を生きている事に。
そのことに気づき心が穏やかになる。
そして、揺れ動く尻尾の表情がとても面白くユーモラスであるのに気づきます。
その何気ない仕草が心に響きます。


若い時に耳にした言葉が軽んじられ歳を重ねて同じ言葉を聴き、心に響くのは言葉の真意が視得てなかったからなのか自己の錯覚か。それとも時の悪戯か。
思いやりの言葉は心に響くが偽りの愛は心に残らない。


話す言葉の真実は消え言葉の真意は虚空に帰す。 


共振することの難しさよ。共感できぬ苦渋よ。


その交信の限界を感じ物質の概念を知ることによりなお解決出来ぬものがある。


言葉は時として凶器に変貌する。


感情を抑制出来ぬ物質(生き物)はコントロールを失い、失速し自分を見失う。


憂いかな。


毎日の会話で吐き出される言葉の響きの内部(なか)に幾つの真実があるのか。聴く手にその解読する力が備わっていなければ只の音が素通りしてゆき、通り過ぎる言葉が時として立ち止まり、話し掛けて汲みする瞬間に言葉の真意が判りあえる時がある。


それは祖の悪戯か気紛れでもあり、理解する加減が真意に比例して時を刻む。
祖は時を生み出し、時は命あるものを育み進化させ、その過程で肯定否定を繰り返しながら時を超えその容姿を整える。


生きるものが擁する容姿は個々の進化に基づき形付けられしものなれば、その容姿を借りて心をも伝えし逢える事に今を知る。


祖が創りし尻尾は生き物の心を表し、その種属は言葉を失うことによりその真意が試されることになる。


人は言葉を巧みに操り、心の内部を尻尾に表現させることを拒んだ。
それゆえに今尚、殺掠など殺生が絶えず。


言葉とは相手に此方の気持が伝わらないと意味を成さない不便な交信手段。
我が愛すべき生き物には心を映し出す尻尾がある。
その生き物の真の会話が出来る尻尾が存在する。
心で交信出来る尻尾がある。


心に響く尻尾が揺れ動き脅威を排除して、名も無い者達にもご加護が施され透き通る情熱が共振されて情愛が生まれます。


人間にはその尻尾がなく、故に憎しみや争いが絶えない。


進化は時として過ちを犯す。





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