04/11

春は素敵な素材が芽吹きます。
素材が素晴らしものであればあるほど、それを賄う料理人はシンプルで手間をかけないほうがいい。
刺し身も美味しいのです。
その旬の素材は、剥いても剥いても身が出てこない!
やっと剥けたと思ったら、食べられる量といえば。
「たったこれだけ!」
あとに残った皮の残骸が多すぎます。
そして後始末が大変ですが、旬の食べごたえは格別です。


その春の恵みが災いを招き後悔が食べ過ぎの二日酔いで吐き気を招きます。
美味しい春の恵みは何処へ!
目覚める時間が早すぎたのです。
まだ冬眠すべきでした。


後悔は春に目覚めるのです。
でも、寝過ごしてこの不快感をやり過ごすべきでした。
でも、でしたでは過去は決して未来を明るくはしてくれませんが。
物事には順序と継続が季節という代物を運んで来ます。
時に、それは喜びへと変化する機会があるけれど、神の悪戯が二日酔いの嘔吐となって我が身にふりかかり最悪の事態に陥ることだってあるのです。


時間は不快を癒やしてはくれないのです。
嘆(なげ)いても、神の恵みは降りてこない。
時間がやすらぎを与えてくれるなんて勝手に思い込んだのが間違いの元で、自意識過剰なまでの取り越し苦労をして歯車が噛み合わない自分に不快が増しただけ。やはり自分で癒やすしかない。まだ寝る(冬眠す)べきでした。


でも身体は睡眠を求めてはいないが、この際、眠って事を誤魔化すしかない。
優柔不断で無精で根は素直で優しさを備えていると自分で言うのも変ですが。
でも、強いて言えば優しさだけが取り柄じゃない。
慈悲なる譫言(たわごと)が自分を蹴落としたくなるだけで、呑みすぎてゲロを吐く気分と似てはいるものの、それは些細な気紛れに過ぎず。
食べ過ぎた結果の後始末が、このザマです。
情けない。Σ>―(灬⁺д⁺灬)♡―――> ズキューン
この不快を払拭してくれるなら!
神様、どうかお救い下さいませ!


最悪の事態に嵌(はま)ったどツボの気分が何かに救いを求めます。
そして、縋る気持ちの先に二日酔いと食べ過ぎになった原因を手繰り寄せる。


優しさが欲しい!


幼き頃、病気になって母親が介護してくれた記憶が二日酔いの気分と重なり合う。
慈悲とは、母親の笑顔。これは男の依怙かもしれない。
男は建前を謳うピエロ。


子供は両親の血を受け継ぎ愛を育む。
母親はいい人だった。けれど、父親はひどかった。私の場合。
話を戻そう。
そう、問題は昨日の夕食だ!あれがいけなかった。
男の料理。
無精(ぶしょう)が正気を無くして料理をする。
だって、春だから!
見方を変えて見れば結果が現れる。見方を整えれば憂いが増す?
幼き頃は人を思いやると、いった気持ちなど無かった。
そんな事、そんな事など考えもしなかった。
人を思いやる。
その環境が芽生えたのはそれからずーと先の事。
大人になって、世の中で揉まれて苦労してからでした。


慈悲とはなんぞや!


天才は凡人にあらず、のたとえじゃないが、差別、能力の格差を駆け引きに使うべきじゃない。理解(わか)っていますか、世の女性の方々。
お上手、とっても素晴らしいと人は褒め称える。これには幾分お世辞が含まれてはいます。
あなた方はお気付きにならない。
女性の人は持って生まれた力量で料理をされます。
これが凄い。
モガいても、藻掻いても手の届かない能力の差。
凡人、天才、それぞれに当てはまる条件つきの真実。


お上手は下手に慈悲などかけない。


けれど、物事(料理など)は食べてナンボの炊き込みご飯。
そう、この炊き込みご飯が憂鬱(ゆうつ)の原因なのです。
いや、酒の飲み過ぎもあるのです。
真実が人々を惑わせる。


でも、その舌心を豊かなものにして真実を見つめる能力を育てる。
両親は揃ってこそ、子供は素直に育つ。
片親だけじゃ、ダメとは言わないが。
偏見はカタコトのお呪(まじな)いで未来を占うが、目先の捉え方では未来を見失う。
若者が愛を語る時が一番素晴らしいのは何者にも屈折せず、その事を信じているからこそ出来る仕業なのかもしれない。


他に何も見えないのが欠点だが。
比較論ではないのでご了承願いたい。


料理の良し悪しで見栄えが良ければ誤魔化していることなどお構いなしに料理がテーブルに並ぶ。結果、舌で吟味して事なきを得ればしめたもの。でも、そうは問屋が卸さないのが世の常です。
そして、天国に召された奥様の過敏なる反応と褒め称える慈悲深いエゴと差別的な偏見に満ちた微笑みを思い出し。


乾杯などするものか ( `―´)ノ


あなたのお顔を思い浮かべて。
「料理の腕があなたより素晴らしい訳がないじゃない」と、心の中では叫んではみたものの決して口に出さず微笑みを返す優しさが憂鬱になるのです。
それを酒で誤魔化そうたって神様はお許しにならないのです。
ゆえに下手な料理と二日酔いとが腐れ縁になる。
神の慈悲は薄れて墓穴を掘る結果になる。
不快の朝は気分が優れない!
あるがままを、欲しがるままに飲食した私が愚かだったのです。
天国(亡くなった奥様)からの啓示?
「慎み深く、何事にも、慎み深くおこなえば、後悔などしないものです」
ごもっとも。
私が愚かだったのです。
幼き頃に、校庭に出て生徒全員で整列する時に。
先生の号令が飛びます。
「右へならえ」
みんなが一斉に右を見て整列する。
その時に自分だけ左を向いて落ち込む気分ほど惨めで悲惨なものはない。
左側の生徒の顔が今でも目に浮かびます。


春はすべての植物が芽吹きます。
だけど、その土から出てくるモノが気に食わね~。
伸びてくるのが好ましくない。
その伸びるスピードが早すぎる。
雨が降れば更にスピードが増す!
奥様がよく言われていた言葉を思い出します。
「すべての料理は新鮮な旬の素材を使って料理すべきです」
ごもっとも。
我が家の畑では、常に新鮮な野菜類が育っています。
でも、我が家の畑で取れない旬の物がある。
筍(たけのこ)。
これが間違いの元。
すべてはこの素材の選択の誤りにあったのです。
俺にも、この旬の勢いがあれば夜の巷(ちまた)に出歩いて立派なオツトメが成果をあげるものをと、後悔?と不満が不規則に心を惑わせるのです。
そして、このイヤラシさは二日酔いの足掻きだったりして。
んっで、優しさを謙虚な気持ちで羽織っても、結果は仕事を休む羽目になる!
呑助(のみすけ)は頭(こうべ)を垂れず、意地でも不手際を認めずに錯覚を産んで気晴らし程度でも気持を奮い立たせる起爆剤になる。


私は気付く。
シェフになる!
誤ちは過去の遺物で事なきを得ても未来は無精者を強くなどしない。
夢を持ちすぎると厄介な事になる。
亡くなった奥様の料理に敵うわけがない。
でも、神様は依怙贔屓などなされない筈! 
期待は想像力を高め無茶を通り越して過激な思想を生み出します。
期待は矛盾を描き出して、誓う!


私はシェフになる! 横文字が嫌いだが。
糠(ぬか)を入れずして、旬の味は味わえない。
酔っぱらいに、酒の吟味を教える馬鹿で愚かな者はいない。
よって、神の掲示が施される!


「哀れなり、汝の苦しみは果てることなく続くであろう」な~んちゃて。
この際です、開き直って食べ過ぎと二日酔いはいいものです、たまには。
後悔と疑念が渦巻く記憶がぶっ止まり、あらぬ方向を見返して何を書こうとしていたのか考えがまとまらない。
そうだ! 


滅多に食べられないと思って、やおら食べ過ぎた筍(たけのこ)。


災いはこれにあった! (≧◡≦) 




.

×

非ログインユーザーとして返信する