04/19

ウクライナ情勢


病んでも痛みを感じなければ苦痛を味わうことはない。関心がなければ興味も湧かない。そして、無関心であるのが道理とは限らない時代だってある。目を瞑って耳を塞ぎ、押し黙って疫病が通り過ぎるのを殻に籠もってじっと待つ。時代は変化しているのに無関心を装う。真実は虚偽され偽装が飛び交い、それに関連する出来事が巷で溢れ出す。その情報に関わる人の気持ち、人々の視線が戦場の場へ注がれる。ある人物の野望のために多くの犠牲を生み出している。誰も彼の行動を止めることは出来ない、神さえも。人間は神の真意とは無縁ではないはず。祈り人の願いは空虚に化して真実を顕にする。傲慢で贅沢極める者ありて尚、死に行く者への慰めの気持ちなど蔑(ないがし)ろにするその国民をも神は裁こうともしない。指導者が闇を覆いかぶし真実をフェイクして闇の信者が道理を奏でる時代が来るのか。真実と偽装を天秤にかければあなたの思惟が分かるのか。真意を模索する思考にあがらう場面をどれだけ、どれほど見せつけられればいいのか!
胸が痛む。


指導者を選びその野望を止めることが出来るのは自国民しかいない筈なのに。搾取され殺害される情報に無関心なのか!それとも指導者と同じ思惟を共有して、その野心を満足させる国民性ゆえにか。そのやり口(行動)に怒りを覚える。


神の真意は偽装なのか!





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